2,000〜5,000人の出生に対して1人の発生率といわれている、横隔膜ヘルニア。
わが家の長男は、先天性横隔膜ヘルニアでした。
心待ちにしていた第一子。妊婦健診では順調そのもので何の問題もなく出産まで過ごしました。
発覚したのは産後すぐ。
心配性な私は、生まれるまでアレコレ考えて不安ばかりなマタニティライフを過ごし、やっと生まれたと思ったところから、まさかの展開にメンタルズタボロでした。
時は過ぎ…そんな長男も来月6歳になります。
結論から言いますと、長男の横隔膜ヘルニアは完治しております。現在は再発の可能性もほぼないそうです。
同じ先天性横隔膜ヘルニアの子供でも、発覚の時期や状態によって予後は全然変わってくると思います。
今回はうちの長男の場合を書きたいと思います。
●横隔膜ヘルニアとは先天性横隔膜ヘルニア(指定難病294) – 難病情報センター
産前、そして出産のとき
第一子妊娠中に、埼玉県川越市に引っ越しました。
土地勘もなく知り合いもおらず、初めての妊娠に孤独と不安でいっぱい。
産院選びは、1番近い総合病院にしました。小児科はいちようある(週2~3日やってる)ので、いいかなと思いましたが…これはちゃんと併設されている病院の方が安心だったなと後々思いました。
出産は夜中の0時0分にトイレに起きて(時間がちょうどすぎて覚えている)、用を足そうとズボンをおろした瞬間チョロチョロっと…破水からお産が始まりました。
夫を起こし、すぐさま病院へ。破水と陣痛も始まっていましたが、なかなか子宮口が開かず朝方になったころ、看護婦さんや先生が行ったり来たりちょっとバタバタし始めました。
「赤ちゃんの心拍が落ちてきているので、帝王切開にしましょう」
そこからは手術の準備の管系を入れたり点滴やらなんやら色々されながら、説明をバババっと聞いて、同意書をひと通り書き、緊急帝王切開に入りました。
とにかく子供が無事に生まれる事が最優先だったので、もうすぐ会えるんだと手術も嫌な気はしなかったのを覚えています。
手術に入ると、ものの数分で長男が生まれ、大きな産声をあげました。初めての出産は想像とは違ったけど、無事に生まれてくれたことにとにかく安心し涙しました。
生まれてすぐ顔を見ただけで、私の処置がその後1時間近くかかります。その後病室に戻り、一度だけ抱っこさせてもらいました。
たった5分程度だったでしょうか。その時に感じた違和感が、今も忘れられないです。
初めての新生児の抱っこだから、そんなもんなの?とも思ったのですが。体温がそこまであたたかくない気がして、寝ているけど苦しそうに見えました。…これは症状が出ていたわけではない、母の勘、だったのでしょうか。
可愛いと思うよりも、大丈夫???な感じでした。
先天性横隔膜ヘルニアと診断されるまで
2017年4月、待望の第一子が誕生。
初めての抱っこで感じた違和感。
その数時間後、看護師さんが病室に来て「赤ちゃんの呼吸が安定しないから、明日小児科の先生に診てもらいます」と。大丈夫だと思うけど時々心拍が乱れるので~との説明で、明日診てもらうことに。
その病院では、小児科外来が週2〜3日で、出産の日は小児科医がいませんでした。
その夜は術後の痛みと、まだあまり産んだ実感がない中、赤ちゃんの心配で、何ともいえない気持ちの夜を過ごしました。
翌日、小児科の先生が診てくれたあと、もっと大きい病院で診てもらった方がいいとのことで、すぐさま大きい病院へ赤ちゃんだけ転院することになりました。
幸い、うちから車で15分の大きな病院のNICUで受け入れてくれるとのことで、夫が付き添い救急車で搬送されて行きました。
私は産後の痛みと戦いながら、夫の報告を待つだけ。
午後になり、夫の「大丈夫だった」と話すだろう電話を待っていましたが、電話口では話せないから直接話すねと、会って症状を聞くことに。あぁ、何かあったんだ、と血の引ける瞬間でした。
夫の口からは、赤ちゃんが先天性横隔膜ヘルニアだったこと、手術が必要なこと、手術は成功率が高く命は助かる確率が高いこと、その後は手術してみないとハッキリしたことが言えないこと、などひと通り説明してくれました。
夫は私に冷静に話してくれましたが、私は涙が止まらず、どうして夫はそんな冷静なのかとちょっとショックなくらいでした。後々聞いたら、夫は病院で説明を受けている時に涙が止まらなかったそうです。(そりゃそうよね、ごめんね夫さん…笑)
生後3日目で手術
生まれた翌日に搬送され病気が発覚、その日のうちに手術の日程が決まりました。
搬送翌日(手術の前日)、手術の前準備的な処置?があったり、夫には説明と同意書の準備がありました。私はただ病院で、どこに向けたらいいか分からない気持ちと密かに戦っていました。大丈夫という気持ちと、何かあったらという不安と…睡眠薬を処方してもらって眠った記憶がありますが、それでもなかなか眠れなかったです。
手術当日は、夫が病院へ行ってくれていたので、私は報告を待つだけ。
手術は無事に終わり、夫からの連絡も明るい声でした。そのあと私のところへ来て、術後の報告と説明、今後の事も話してくれました。
手術の翌々日、私の一時退院がOKならば、面会へ行けるとのことで、夫とNICUへ。
手術の当日と翌日は、たくさんの管で繋がれていたそうだけど、私が行った時にはそんなに痛々しい管の量ではなかったです。安心と申し訳なさでここでも涙が止まりませんでした。
そこで初めて主治医の先生と会い、私自身がお話しできました。夫から説明を受けるよりも、何百倍も安心したのを覚えています。
この時の先生の説明では「手術はうまくいって再発もないと思う。予後が良ければ3カ月程度の入院で済みます、長くても1年かな。」とおっしゃっていただけました。
手術から退院するまで
息子の場合、横隔膜ヘルニアの発症が胎児の時には分からず、横隔膜の穴も大きすぎず、胎内では臓器の脱出もなかったと予想されました。その為、肺が十分に発育しており、術後の経過も良好でした。
私は産後すぐから搾乳を開始し、なかなか出ない母乳を絞り出し、せっせとNICUに届けてもらいました。
母乳、特に初乳(最初に出るクリーム色の母乳)は栄養が凝縮されていて、どんな点滴よりも免疫も栄養も付くと聞いたので、毎日欠かさず搾乳し、冷凍して持っていきました。
一番最初は管から胃に直接入れていた母乳も、管が外れ、少しずつ哺乳瓶で飲んでくれるようになり、飲む量が増えていきました。
息子の回復は著しく、先生も驚くスピードだったそうです。
主治医の話では、予後が良ければ3カ月、長くても1年と言われた退院時期も、手術から2週間ちょっとで退院することができました!
その2週間のうちに、授乳の指導を受けたり、母乳がでるように病院の母乳外来へ行ったり、沐浴を教わったり、産後の傷も痛むなか、どんどん退院に向けて準備が進んでいきました。
退院してからのこと
4月生まれの息子、退院は夫も連休でいるゴールデンウィーク中にできました。それはとても心強かったです。
産後私が退院しても、家に一緒に帰るはずの息子がいない虚無感、病気で産んでしまって申し訳ない気持ち、術後の体の痛み、この頃の私は産後鬱まっしぐら…。
初めての出産で分からないことだらけ、ただでさえ状況がガラリと変わる時に、赤ちゃんの手術。
産後は誰にも頼りたくなく、実母にも義母にも来てもらわなかった事もあり、右も左も分からないひとりぼっち育児が始まりました。
NICUで赤ちゃんに触れる時は、しっかり手を洗い消毒をしてから触ったり抱っこします。
自宅に帰ってからも、そこはかなり神経質になっていました。2500gで生まれ、手術で体重が減っていたので、退院した頃も2700gくらい。小さい命の重すぎる存在感にどうしようと戸惑うことばかり。
よく泣く息子。何に泣いているのか分からないし、オムツも変え授乳しお腹いっぱいで抱っこしてても泣く。どこか痛いんじゃないか、どうしよう、正解が分からない、不安でいっぱいの毎日でした。
退院した当初は、夫もゴールデンウィーク休み中だったので一緒にいてくれましたが、休みが明けてから、日中は1対1。
不安すぎて夫に、泣きながら「仕事行かないで」と言ったっこともあります。
もうそこからの記憶は薄っすらなくなっていて。笑
本当にしんどくて限界だったな、という思い出です。出産と子供の手術も大変でしたが、その後帰宅してからの初めての育児は、記憶が飛ぶくらい体力もメンタルもやられました。
長男を可愛いと思えるまでには3カ月くらいかかったな。
産褥健診と息子の1カ月健診では、産後鬱と診断されました。そうでしょうね、と思った記憶…笑
手術からもうすぐ6年、現在の状況
そんな初めての育児を乗り越え、現在。4月で長男は6歳になります。
最初の1年は3カ月おきに術後の経過観察に通院し、1歳を過ぎてからは1年に1度、通院して診てもらっています。
主治医には再発の可能性はほぼ無いと言われています。
毎回その話をしてくれる時、先生は「よほどの外的な衝撃を受けない限り、再発はないと思います。例えば走ってるトラックにぶつかるとかね…」と言いますが、その例え話にツッコんだらいいのか、笑ったらいいのか、いつも分からず「ハハハ…」と愛想笑いしてしまいます。(ごめんね先生)
とにかく元気に育っている息子。
成長はかなりゆっくりで心配する事も多かったのですが、今は心配なことも減りました。…いや、心配は減ったのではなく、こちらが慣れたというべきでしょうか。
成長ゆっくりで発達障害グレーではありますが、生きててくれるからそれだけで私は満足です。
親は子供に育ててもらって親へと成長していると思います。
私自身、まさに6年間で母親6年生に育ててもらいました。
もしあの時の自分に会えたら、「なんとかなるから大丈夫よ」と寄り添ってあげたい。
私がしてきた親としての経験も、不安を抱えた誰かの役に立つ日が来たら良いなと思いながら、この記事を書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。