初めての妊娠が分かった頃、夫と子供の性別の希望について話しました。
当初からできれば3人産みたいと話しており、夫は男・女・男が良いなと言っていました。
私自身はというと、男の子のみで良いとずっと思っていました。
私が兄2人の3人兄妹で育ち、周りも男ばかりの世界で過ごし、職場も男性が多い環境で過ごしていました。子供の頃から、どこか”女子ってめんどくさい”と思っていた節があり(自分含め)苦手意識もあったのです。
また、幼少期から大人になるまでずっと自分自身に外見のコンプレックスがたくさんあったので、娘が生まれたら同じような外見になる確率は高く、自分が好きになれなかった外見と同じ子供なんて可愛いと思えるのだろうかと不安でした。
同じような事で悩むのも可哀そうだし、私と同じ苦労をするのではないかとも思いました。それに女の子は心配事も多そうだし、育児も自分に似て頑固でワガママだったら大変そうと…。そんな不安ばかりならめんどくさいので男の子!という気持ちでした。
第二子で女の子を授かった
第一子は男の子でした。ほっとした気持ちと、自分の想像を遥かに超えた大変な育児が始まりてんやわんや。
第一子が1歳を過ぎ、二人目の妊娠が分かった時、次も男の子という気持ちは変わりませんでした。
女の子と分かったのは妊娠6カ月頃だったでしょうか…正直な感想は”どうしよう”でした。もちろん新しい命は嬉しいし無事に生まれてくれればどちらでもいいのが大前提だったのですが。
夫はそれはそれは満足そうで。嬉しそうでしたが、第一子の男の子が可愛すぎて男の子3人でも良かったかもとか言っていました。なんじゃそりゃです。
妊娠中の性別判定は100%ではないけど、早めに教えてもらって心の準備もできていきました。まぁ結局、どっちでも!どんとこい!!!
びっくり!男の子と全然違う!!
生まれ持った性格があるので、一概には言えないことも承知で我が家の場合を書きます。
違いは生後1カ月頃からハッキリ感じました。
まず長男が同じ乳幼児期、目で追うものは動くものでした。目の前に立って物を持ち、それを動かすと物を追いかけます。
でも娘は、もちろん動く物も見るのですが、同時に私の顔も見ていました。常に人の顔を見て、表情を見て空気を読んでいるかのように感じたのです。これは長男と大きく違った点でした。
その後も、成長とともに状況を読んでいたり、先の想像をしていたり、感情を読んで一緒に泣いている様子も多々あったのです。長男にはほぼ無かったこと。
ここまで性別で違うのかなと感じました。
可愛い可愛い可愛い…とにかく可愛い!!!
語彙力無さ過ぎてごめんなさい。笑
なぜでしょう、娘は来る日も来る日も、ただただ可愛かったのを覚えています。長男の時には感じなかった可愛さ。愛おしいとも少し違う、なんかベストな言葉があればいいのに。
もちろん!息子も超絶可愛かったです!でも種類の違う可愛さなんです。
見た目だけで言うと娘は、まん丸でパンパンだし、肌が弱かったのに自分で引っ搔いた傷が顔にあってプロレスラーかなって思うほど。肌が綺麗になってきても髪の毛が薄毛ちゃんで坊主と同じだったので、うちの中でのあだ名が”トップハムハット卿”か”小田無道”でした。
そんな可愛らしさ(?)とは無縁の様な外見も赤ちゃんというだけで、たまらない可愛さがあります。でも赤ちゃんだから!だけじゃないんです。
それはやっぱり意思疎通が取れている感じがしたからでしょうか。
当時2歳になりたての長男は、成長がゆっくりで2歳でも言葉はほとんど通じておらず、発語もない状態でした。その為に、平日はほぼワンオペだった私は、宇宙人のような2歳児と赤子との生活で、大人と会話したい欲が爆発寸前でした。
そんな中、私の気持ちを汲み取ってくれるかのような眼差しを感じたのは、当時の私にはオアシスでした。
娘が4歳になって
よく、私が夫に「それ取って」という時、すぐ夫の目の前にあるのに見つからないことがあります。
何で見えないの、それだよ、そこにあるじゃん!本当に目の前の簡単な場所にあるものに気づかないのです。
これ、息子も全く同じ。お母さんアレがない~と言ってきたときに、そこにあるでしょと言っても全然見つからないのです。
かたや娘、すぐに分かります。
なんなら、話の流れや私の前後の行動を見ていて、アレのひと言でパッと伝わるのです。不思議。
視野も全体を広く見て、パッと探したり気づけたりするのが娘。
トイレットペーパーの芯で覗いてるのかなと思うほど、1点しか見れない息子。(と夫。笑)
これは確実に男女の差かなと感じるところです。
4歳になり、会話も随分と弾むようになりました。まだまだ子供ではありますが、気持ちを汲んで考えるようなしゃべり方をします。うんうんうんうん、そっかぁ~、ってね。笑
喋り方もかなり私のコピーです。聞き方、相槌のうち方、鼻で笑ったりため息ついたり。怒り方も真似します。兄である長男に対して説教っぽく言っているのなんて私そのもの。
娘を見て私の悪いところを発見する毎日です。え、私そんな感じに映ってるの?ヤメナキャ!な事よくあります。
女の子を産めたことに感謝している今
冒頭にお話しした通り、私自身は幼少期から自分の外見にコンプレックスがありました。
それも娘を育てていくうちに、大きな勘違いだったことに気づいたのです。
そもそもコンプレックスになった原因は、周りからの言葉でした。そして、その言葉にどんどん自己肯定感が削られていったのです。
大人になってからも自己肯定感の低い人間でした。30代に入り、結婚をし子供を持ち、夫や子供に愛される事によって、少しずつ自信がついてきたのは確かでした。
今では娘のおかげで、私自身の外見が好きになりました。もちろん娘の外見も大好きです。決して整った美人ではないかもしれない。でも、
みんな違ってみんな良い!
それを全て子供達から教わった気がします。子供を肯定してあげたいと思う気持ちは、同時に自分自身を肯定し大事にしなきゃいけないと感じています。
母親はいつも自分を後回しにしがちだけど、自分を労り慈しむ気持ちも絶対的に大切なんだと、今は思っています。なかなか忙しくて余裕はないですけどね。
自分に優しくできない人が、人に優しくできないように。自分を愛することの大切さ、子供達からそれを教わったのです。
娘を見て、あれれ私って可愛いんじゃん!!!って発見しています。
きっと昔私が抱えたコンプレックスを、娘も感じる日が来るかもしれない。そしたらその時は、同じ家並みを持ったことがあるからこそ、一緒に悩み解決できるよう寄り添ってあげたいと思います。
でも大丈夫!あなたはあなたらしく咲きなさい。愛する娘へ。生まれてきてくれて本当に有難う。