お花見2023 川越の喜多院へ行って来ました

子育て

昨年まで、感染者で自粛されていたお花見。

各地の様々な行事が、今年はだいぶ緩和され再開されて来ましたね。

今年は桜が咲くのが早く、入園式入学式には葉っぱが青々として爽やかな式になりそうです。

幼稚園の園庭も満開で、園庭解放を兼ねて遊べる日程が出されていました。

私達も遊びに行って来ましたが、園庭だと遠くから眺めてる程度で良いので、親は花見がてらゆっくり見守れました。

子供達も春休みで会えないお友達に会えて、走り回って楽しそうでした。

園庭のブランコ
大好きなお友達と長男

川越喜多院へ行ってきました

園庭解放でお友達のママが、喜多院のお花が見頃なことを教えてくれました。

そこで昨日、早速行ってきました!

川越大師 喜多院
天長七年(830)、慈覚大師円仁により創建された星野山無量寿寺が始まりとされる喜多院。慶長四年(1599)二十七世を継いだ慈眼大師天海が徳川家康の厚い信頼を得、寺領四万八千坪及び五百石を下し、寺勢盛んとなりました。寛永十五年(1638)の火災後の再建時には、江戸城内の「徳川家光誕生の間」が客殿、「春日局化粧の間」が書院...

今回は簡単に、ここへ行ったレポートを書いていきます。

2023年3月30日、桜は散り始め

満開でしたが、所々新緑の葉っぱがのぞき始めていました。

風に乗ってひらひら舞い散る桜の花びらが、私は大好きです。今回はまさにその中でお花見ができました。

桜の下の娘

子供達は完全に花より団子!!!

あれ食べたいこれ食べたい!!!笑

今回は私の実家の両親と一緒にお花見してきました。

私の両親は、川越観光へ連れて行ったことはあったものの、喜多院はこの日が初めて。とても喜んでくれました。

じいじ、ばあばと。

年始の初詣には毎年行っていますが、お花見は久しぶり。

この日は平日だったこともあり、人出はそんなに多く感じませんでした。

行った時間は昼の11時頃から行きましたが、シートを広げてお花見を楽しんでいるグループは2組程度。

数年前の土日に行ったときは、もうシートを敷くスペースを探すのが難しいほど混んでいたような…。

今年はこの後、4月最初の土日が賑わうでしょうか、その翌週にはもう散ってしまうかな…?

花見をするスペースやトイレは子連れにはありがたい

全体的に満開は過ぎてる?

↑この写真の左側のスペースがシートを広げてお花見できる場所。

レンタルゴザなんてものもありました。食べ物も飲み物も現地調達できるので、手ぶらで行けますね!

あおい葉っぱが見えてます

お休み処という、大きいテントの中で食事や呑むことも可能です。

このお休み処は2カ所あります。テントの中なので、お花見気分で吞む人やハトが苦手な人向けでしょうか。あとは中がテーブルとイスなので足の悪い方などにも良いかもしれません。

屋台で何か購入した場合、うちの子供達はまだ座って食べないと絶対に落とすかこぼします。座る場所は必須。

小さいシートでも持っていけばちょっと座らせて食べれるかな。

でもこの日は空いてたので、常設されている方のイスとテーブル席で食べることができました。

桜と屋台

↑トイレはこのように見やすい看板があります。

綺麗なトイレ

トイレもきれいだし、トイレの前にはジャングルジムがあるので、待っている子はこちらで待たせてます。

青空と多宝塔と桜
川越市内では「春まつり」として各種行事を行っておりますので市内散策も楽しい季節です。また、この時期は当山境内の桜も満開の頃のためにお花見の人々も数多く訪れ、春爛漫の境内は大変な賑わいをみせます。

【桜の見頃】
しだれ桜    3月お彼岸ごろ
そめいよしの  3月下旬~4月上旬
※近年は少し早く見頃を迎えることもあります

(↑喜多院HPから引用)

今年の春まつり初日の土日は雨でした。

行く予定もしていましたが、雨で断念。桜を見に行けただけで今年の春を楽しめたんではないかな。私は満足です。

もちろん、慈恵堂の参拝も忘れずにしてきました

今回は川越の喜多院のお花見についてサラッと紹介しました。

本来は見どころいっぱいのこちら。子連れだとなかなか歴史に触れたり、ゆっくり見て回るなんて事ができませんが、花見ならまぁ見てても見てなくても、屋台だけでテンション上げてくれます。

また、今回は行きませんでしたが、喜多院の裏にはブランコや滑り台のある、小さな公園もあります。子連れにはとても助かるスペース!

あまり地元の子供達がたまるような公園ではないので、観光がてら遊びに来た時に寄るのもいいかと思います。

見どころがたくさんある川越ですが、観光へ来た際には喜多院へ遊びに行ってみてはいかがでしょうか。

川越大師 喜多院
天長七年(830)、慈覚大師円仁により創建された星野山無量寿寺が始まりとされる喜多院。慶長四年(1599)二十七世を継いだ慈眼大師天海が徳川家康の厚い信頼を得、寺領四万八千坪及び五百石を下し、寺勢盛んとなりました。寛永十五年(1638)の火災後の再建時には、江戸城内の「徳川家光誕生の間」が客殿、「春日局化粧の間」が書院...
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